前回の記事の最後に、こう書きました。「なぜ僕がここまで”守り”にこだわるのか。その原点には、ある体験があります」と。
今日は、その話をします。実家の借金と、中学生だった僕の”違和感”の話です。
- 「お金がない」が口癖の家庭で育った人
- 家族と、お金や相続の話ができていない人
- 家族を助けたくて、投資で焦ってしまっている人
「金持ちやなあ」と言われて育った
僕の実家は、個人で飲食店を営んでいます。自宅兼店舗で、建物も大きかったので、昔から周りには「家、でかいなあ」「お金持ってるなあ」と言われ続けていました。だから僕自身も「うちは周りより裕福なんかな」と感じている部分がありました。
でも、暮らしの中でふと思うんです。他の家のほうが、いい車に乗ってる。お金にも余裕がありそう。うちは本当に、お金があるんだろうか?
中学生のころには、その疑問はハッキリした違和感になっていました。
中学生の僕が抱いた”違和感”
正直に言うと、僕は学力が全くないタイプでした。テストの点もいつも悪い。でも今振り返ると、あの頃から金融リテラシーの基本になる「違和感を持つ力」だけは持っていたのかもしれません。
親に「今年って売上どれくらいやったん?」と、しれっと聞いたりしていました。返ってきた数字と、僕らの生活レベルを比べると、やっぱり何かがおかしい。「貯金でもしてるんかな?」と少し期待もしました。
でも、親の口癖はいつも「お金がない、お金がない」。
売上はあるはずやのに、お金がない。……もしかして、借金があるんじゃないか。中学生ながら、そう疑うようになっていきました。
商売は好きだった。でも「継いだら共倒れする」と思った
誤解しないでほしいのですが、僕は実家の商売そのものは大好きでした。宴会でお客さんがどっと入ると、子どもながらに嬉しかったし、「今日はこれだけお客さん来たから、利益はどれくらいかな」と想像するのも楽しかった。いつか自分も商売をしたいと、心から思っていました。
実家の店は、もともと祖父母が始めて、両親が継いだ店です。二世帯でやっていて、祖父母は「いずれはお前に」と、僕に継いでほしがっていました。
でも僕は、祖父母と両親のお金や経営をめぐる話を、いつも耳をダンボにして聞いていました。そして中学生ながら、こう確信してしまったんです。「ここで一緒に働いたら、自分も必ず共倒れする」と。
個人飲食店は、閉鎖的な空間で仕事をします。だから「家の常識」が、世間から見ると非常識になっていることがある。外の世界を知らないまま、その常識の中に入ってしまうのが怖かった。だから僕は飲食ではなく、全く別の世界に飛び込むことを選び、高校を出て会社員になりました。
実際、外の世界でいろんな人と働くうちに「実家の常識やと思ってたこと、実は非常識やったんや」と気づくことが、少しずつ増えていきました。
少し話がそれますが、学力がまるでダメだった僕にも、唯一の取り柄がありました。コミュニケーション力です。昔から友達だけは多くて、そこだけは胸を張れる。新しい出会いも大切にしていて、職場に限らず、いろんな場所で積極的に人と関わってきました。
そうしてたくさんの人に出会ううちに、自然と見えてくるものがあります。いい人、悪い人。一見よく見えても、中身を知ると距離を置きたくなる人。平気で人の悪口を言う人。そういう人たちを見てきたからか、”人を見る目”だけは、少し長けている方だと思っています。
お金の違和感を嗅ぎ取る感覚も、人を見る目も、根っこは同じなのかもしれません。”なんかおかしい”を、放っておかない。それが、勉強のできなかった僕に、唯一そなわっていた武器でした。
17歳。祖父が亡くなり、借金の存在が判明した
僕が17歳のとき、祖父が亡くなりました。
そのとき判明したのが、祖父が残した借金です。バブル時代に派手に使ったツケ。そしてバブルが弾けた後も生活水準を落とせず、借り続けたお金。その額は、個人でとても返しきれるとは思えない額でした。
中学生の頃からずっと抱いていた違和感。その正体が、ここでハッキリしました。「……やっぱり、あったんか」と。
そこから、両親の長い返済生活が始まりました。僕はその姿を、ずっと見てきました。
「自分がなんとかする」が、僕を狂わせた
返済に追われる親の姿を見て、僕はこう思いました。「自分も一緒に返していきたい。自分がなんとかする」と。
その気持ち自体は、間違ってなかったと思います。でも、選んだ手段が最悪でした。
早く、大きく増やさないと間に合わない。そう焦った僕は、FX、自動売買ツール、バイナリーオプション……ハイリスク・ハイリターンのレバレッジ商品に手を出し続けました。結果は、以前の記事に書いたとおりです。数百万円のマイナス。(幸い、自分の資産の範囲内でやっていたので、借金にはなりませんでした)
“聖杯”を探し回っていたあの頃の僕の根っこには、「家族を助けたい」という焦りがあったんです。正しい気持ちでも、方向を間違えると、人は簡単に危険な場所へ突っ込んでいきます。

店を継がない選択をしたのに
店の外に出たはずなのに、気づけば僕自身が、同じ轍を踏みかけていました。
数百万円を失って、やっと気づきました。このままでは家族を助けるどころか、自分も共倒れすると。中学生の頃、「一緒に働いたら共倒れする」と店を継がない選択をしたのに、気づけばお金の面で同じ崖に向かって歩いていたんです。
あれだけ違和感を持っていたのに、結局は同じ道を歩きかけていた。違和感は持てても、やっぱり同じ血が流れてるんかな。そう思って、少し情けなくなったのを覚えています。
家族の姿を見て、お金の知識がないことの怖さは、嫌というほど分かっていました。お金のことは、待っていても誰も教えてくれない。だったら、自分で学ぶしかない。そこから本、SNS、YouTubeで、とにかくむさぼるように勉強し続けました。
中田敦彦さんや厚切りジェイソンさんの発信からお金の考え方を学び、マインドや人との付き合い方、生き方については、Testosterone(テストステロン)さんの言葉にもずいぶん助けられました。独学ですが、こうやって”先生”を自分で見つけていったんです。
そして最後に、両学長のYouTubeに出会って、学び直しが一気に加速しました。
たどり着いた答えは、これまでの記事に書いてきたとおりです。生活防衛費という守り。インデックスのコツコツ積み立て。「当てにいかない投資」。派手さはないけど、家族を守れるのはこっちでした。
親が60歳になった年、僕から切り出した
そして数年前。親が60歳を超えたタイミングで、僕は勇気を出して、こちらから話を持ちかけました。親が元気なうちに、お金と相続の話を整理しておくことが、いちばんの親孝行だと思ったからです。
親の言葉を信じたい気持ちはある。でも、曖昧なままでは何も守れない。だから僕はこう伝えました。「借金の明細と返済計画の書類を、全部見せてほしい。借金の全体像と、保証人が誰になってるかも、全部」と。
重い話です。気まずさもあります。でも、ここから逃げたら、また”見えないもの”に怯えるだけの人生に戻ってしまう。家計と同じで、怖いものほど、見える化する。それが僕がお金から学んだ、いちばん大事なことでした。
ちなみに、その返済は、今もまだ続いています。
相続のことや、我が家が今どう向き合っているのかは、また別の記事で少しずつ書いていこうと思います。
親には、感謝と尊敬がある。だからこそ思うこと
誤解してほしくないのは、僕は親を責めていない、ということです。
あれだけしんどい状況で、投げ出さずに返済を続け、僕らを育ててくれた。そこには感謝と尊敬しかありません。
ただ、同時にこうも思うんです。頑張る方向性が違っていたら、どれだけの努力も家族を楽にはしてくれないと。金融リテラシーがないまま頑張ることは、地図を持たずに全力で走るのと同じです。頑張りが足りなかったんじゃない。方向を教えてくれる知識が、なかっただけなんです。
だから僕は学びました。そして、これからも学び続けます。同じ思いを、自分の子どもたちにも、これを読んでくれているあなたにも、してほしくないから。それがこのブログを書いている理由です。

家族とお金の話をするのは、気まずいことじゃなくて「親孝行」です。親が元気なうちに、ぜひ一度、勇気を出してみてください🌳
今日のまとめ
- お金への「違和感」は、金融リテラシーの入り口。大事にしていい
- 「家族を助けたい」という正しい気持ちも、知識がないと危険な方向へ走る
- 怖いものほど、見える化する。借金も、相続も
- 親が元気なうちにお金の話をするのは、最高の親孝行
- 頑張る「方向」を教えてくれるのが、金融リテラシー
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